第5回:重い二重扉を開けて。
2008-07-22掲載


全5回にわたりお届けしてまいりました
「ほんとうのマトリョーシカ。」が、
このたび、ついに最終回を迎えます。

「マトリョーシカとは何か?」という
ごく基本的なところから始まり、
先週の第4回では、宇宙へ、LOMOへと、
ロシアをめぐるいろんなものへと
話がつながっていきました。

この連載を通じて、わたしことリョーシ猫も
これまでぜんぜん、ロシアを知らなかったし、
そのことにあらためて気づく機会となりましたよ。

みなさんはいかがでしたでしょうか?

というわけで、いよいよ最終回、
いつものように、さっそく一橋大学の坂内徳明教授
お話をうかがってまいりたいと思います。
では、どうぞ。

snowflake

マトリョーシカ工場のひみつ
わたし 近くて遠い国~なんて言いますが、
実は、日本政府観光局(JNTO)の統計によりますと
日本人のロシア渡航者数(2007年)は、
なんと83,621人なのだそうです。
実際に行かれている方も、
かなりの数に上るんですね。

坂内先生 そうですね。最近は、ロシアへ観光へ行って
マトリョーシカ工場を見学するツアーなんかも
催されているようですよ。

わたし いいですね、それ。
工場といえば、マトリョーシカの製造工程について
以前から確認したいと思っていたことがあるんですよ。

坂内先生
と、言いますと?


わたし はい。マトリョーシカの胴体は
まんなかでパカッと2つに
割れるようになっていますよね。

2つのパーツのジョイント部をよく見ると、
木目が合わないんですよ。

坂内先生
胴の上と下でね? ふむふむ。


わたし で、2つのパーツがぴったり合うには、
どうやって作っているんだろう……
というわけで、今回、調べてきました。


ロシアへ行ったのではなく、本で調べました。
参考図書:The Art of the Russian MATRYOSHKA



わたし マトリョーシカは、円柱形の細長い部材から
「ろくろ」で、切り出すんですね。

いちばん太いのは胴体の下の部分ですから、
まずこの中味を削り出し、
続いて、外側を削って形を作ります。



まず胴体下部の中味をくり抜きます。


わたし 部材から、マトリョーシカの底面を切り離し、
ひっくり返して、ジョイント部のほうを
部材に当てます。
こうして、胴体上のパーツを採寸するんですね。

これを目印に、胴体上部を実際に削り出します。
まず中味、続いて外側を削ります。



胴体下部をくるっとひっくり返してジョイント部のサイズを測り、
胴体上のパーツを作っていきます。



わたし 最後に、頭のてっぺんを切り離して、
できあがり。

こうやって寸法を合わせていたんですよ。
同じ木から作るんだけれども、
木目が違うのはこのためなんです。

いやあ、しかし。
これだけのことを知るのにも、
結構たいへんなのでしたよ。


二重扉の国、自動扉の国
坂内先生 そうですね。確かに日本には
ロシアの情報が少ないですね。

ただロシアの場合には、旅行するにしてもね、
ロシア人の持っている生活や文化、
もっと言うと感覚のようなものが、
日本人にとってわかりにくいということもあります。

たとえばモスクワなどでも、お店の入口は、
二重扉になっているのがふつうなんですね。
しかも店といっても、窓もないし、
場合によっては看板もないし
何の店だかわからなかったりする。

日本は、どちらかと言うと「自動扉の国」でね。
大概さっと中へ入れるし、
ガラス張りになっていて中の様子もよくわかる。

ロシアでは、扉の前に立って自動的に
すっと開くようなことは絶対ないですからね。
もちろん気候の条件もあるからなんですが、
その扉がまた、ものすごく重いんです。
そういったことは、決して政治的な問題ではなくて
今でも、基本的には変わっていないと思います。

だけどそういうときにね、裏から入ろうとか、
下の穴から潜り込もうとかすると駄目なんだ。

そうしないで、思い切って開けようと頑張っていると、
彼らが中からすっと開けてくれることがある。
そんな気質を感じますね。


チェブラーシカとロシアの動物たち
坂内先生 そういえば、先日、
新潟にある美術館のオープニングへ行ったら、
期間限定「マトリョーシカ」オリジナルカード
がありましたよ。


坂内先生が新潟の美術館で見つけた、マトリョーシカの限定カード


わたし おっ、こけし系のお顔ですね。
最近いろんな種類のマトリョーシカを
見かけますからね。
お腹に物語の挿絵が描かれたものとか、
猫とねずみのマトリョーシカも、
あるんですよ。

坂内先生 猫とねずみは、もともとロシアにある
ルボーク(ロシアの木版画)にも
よく描かれる題材です。
猫はね、ロシア人は非常に好きですね。

わたし ついでにチェブラーシカのマトリョーシカ
もあるんですよ。
チェブは両耳が大きいお猿なので
入れ子にできないため
一番大きいお人形だけチェブで、
あとは、ワニなんかが入っているんです。

しかし、よく考えてみると……
なぜロシアにワニがいるんですか?


坂内先生 ああ、それはもちろん運ばれてきたんですよ。
放浪芸人やサーカスの人たちが持ってきたものです。

ワニのほかにも彼らが非常に興味を持つのが、
象、カメレオン、くじら……と
だいたい南のものですね。
ロシアの南というと、彼らは
ウクライナや地中海の方面にも、興味を示しますね。
要するにないものへの憧れですが、それがとても強い。

コンプレックスであると同時に欲望の源泉なんです。
ロシア人は人間の基本的な欲望とか
根源的な攻撃性に対して正直で、忠実でね、
私たちがびっくりするぐらい、
ストレートに表現します。


<坂内先生と魔女
坂内先生が指さしているのは、魔女


坂内先生 彼ら自身も、そういう表現に出逢うと、
とても反応しますね。


マトリョーシカ、ほんとうの魅力
わたし マトリョーシカも、誕生当初、
エキゾチックで、プリミティブで
といった点に注目が集まりました。

私たちは、そこにロシアのものに共通の
ある魅力を見出しているのではないか
という気もします。

坂内先生 それはきっと、
人間らしさみたいなものじゃないかな。

彩色に原色を使っているとか、
手書きでいろんなデザインがあったりとか、
そのどれかなのかは、わからないんだけれども
人間の基本要素みたいなものが出てきている。

ロシア人は、人間の感覚に基本的に合ったところを
考えることに長けているし、
人間の欲望についても、非常に直感力があります。

マトリョーシカが、かわいい理由も、
ひとつにはそんなところにあるのかもしれません。


おしまいに、おまけの、長谷川四郎の話
わたし 振り返ると、やっぱりリョーシ猫は
これまでほとんどロシアを知らなくて
わずかに思い浮かぶのが、実は長谷川四郎なんです。

戦後、通訳としてシベリアに抑留され、
その後帰国して作家、翻訳家として
活躍した人物です。

坂内先生 彼はロシア語のほかに英語や中国語もできてね、
多才な方ですね。
僕は何回か逢ったけれども、
一度、新宿で一緒に飲んだのを憶えていますよ。

わたし
えっ! そうでしたか。


坂内先生 確か何かの打合せで……そう、
ドフトエフスキーと同時代の19世紀の作家で
日本であまり知られていない人がいるから
一緒に翻訳しましょうということでね。

印象の強い人でしたね。
子供っぽいというか、とってもはっきりした人柄。
ロシア人には非常に理解しやすいし、
またロシア人をよく理解できる人だと思いますね。

彼は戦後しばらくシベリアにいましたから
一緒にシベリアへ行きましょう
って、盛り上がってね。
だけど結局……それっきりになりました。


(『ほんとうのマトリョーシカ。』おわり)



坂内徳明先生 プロフィール
ばんない・とくあき。一橋大学副学長・大学院言語社会研究科教授、社会学博士。1973年東京外国語大学外国語学部ロシア語科卒業。歴史的な視座からロシアの社会、宗教、神話と民衆文化の現場に注目し、これらを取り扱う民族学をその時代とともに考察・解明する研究で知られる。近著『ルボーク―ロシアの民衆版画』(東洋書店・2006年)など著書・論文多数。


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