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『週刊リョーシカ!』ではすっかりお馴染みの
ロシアの民芸品「マトリョーシカ」。
最近はネット上のショップでもよく見かける、
「みやげもの」界の人気者!
とさえ言えるのではないでしょうか。

目を奪われるような手の込んだ彩色の
マトリョーシカから、
中から次々と20個近くも出てくるような巨大マト、
政治家マト、かわいい動物マトまで、
テーマにもフェイスにも、いろんな種類があって、
ちょっとしたブームにもなっていますよね。

マトリョーシカ3点

ところで2007年10月にオープンした当サイトは
量子(リョーシ)にちなみ、公開当初から、
マトリョーシカの話題を採り上げてきました。
ですから──

マトリョーシカのことならまかしとけ!

と言いたいところなのですが、
実は、マトリョーシカについては
とんと後回し、という状況が
長く続いていたんですよね。

(ま、リョーシカは毎週登場するんですけど)

そこでこのたび『週刊リョーシカ!』では
「ほんとうのマトリョーシカ」を求めて
「わたし」ことリョーシ猫を大学の研究室へ遣わし
マトリョーシカとは何か、
じっくり聞いてくることにいたしましたよ。

お話しくださったのは、
東京・国立にある一橋大学副学長で、
社会学博士の坂内徳明教授です。

では、じっくりと、お楽しみください。

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第1回:「魔女の館」へようこそ。
2008-06-20掲載

関東甲信越地方がちょうど梅雨入りしたころに、
東京・国立(くにたち)にある一橋大学に
坂内(ばんない)先生をお訪ねしました。
キャンパスはあいにくの小雨でしたが
研究室のドアを開けると、
天井まで届くほどの本、本、本が
色鮮やかに目に飛び込んできました。

ロシア民俗学、坂内研究室

しかもよく見ると、本だけではありません、
木や紙やいろんなものでできたロシアの民芸品が
ところ狭しと並んでいるではありませんか。

先生、これはいったい……
物理の研究室とはだいぶ違いますね?

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壁から迫り来る「ロシア」
坂内先生 いやあ、そうでしょうね。みんな学生たちがね、
僕の研究室のことを「魔女の館」って呼んでいます。
なかなか整理がつかなくてね。……ま、どうぞ。

ロシアの民芸品、魔女
ロシアの民芸品。布、枝などでできた魔女のお人形。
後ろにあるのは、白樺の皮で出来た入浴用“垢すり”。



わたし 本の背表紙を読んでみると、トルストイ、
タルコフスキー、プーシキン、チェーホフ、
ドフトエフスキー……と、まさにロシア。

しかしそもそも坂内先生は、
なぜロシアを研究しようと思ったんですか?


坂内先生 僕は最初、歴史をやりたかったんですね。
中でもロシアに興味があって。
それになんとなくロシア語をやろうと思った。
なぜかというと、ひとつには高校の時に
歴史の先生が西洋史の、特にロシアのことを
おもしろく話してくれたので興味を持ったんです。

僕の場合、ロシアの歴史といっても
いわゆる革命や政治的なものではなくて、
民衆の歴史、民族的なもの、さらに
その研究史である民俗学史に興味がある。

でも、マトリョーシカの専門家
というわけではないんですよ。

ロシアの民芸品とマトリョーシカ
わたし しかし、先生、ここに
『ロシアを知る事典』(平凡社)
という本があります。
これ、ロシアを知ろうという人には
バイブル的な本ですよね?

この本の「マトリョーシカ」の項を見ると
「坂内徳明」と書いてありますよ。


坂内先生 ええ。それはだいぶ前に、もともとは
平凡社の百科事典のために書いたものです。

百科事典を編集していた網野善彦さん(日本史)、
阿部謹也さん(西洋史・ドイツ中世)、
二宮宏之さん(西洋史・フランス近世)などが、
非常に意欲的に取り組まれて
アイデアのある項目の立て方をしていて。
それでロシア関係の項目についても
「マトリョーシカ」を入れよう
ということになったんです。

そういうわけで僕が書くことになって、
調べてみたんですね。

わたし ほらやっぱり、
先生が調べられたのではありませんか。


坂内先生 いや、だけれどもね、
僕は民俗学者だからロシアへ行って、
ロシアの人に何か民族的なものを
見せてくださいというと、
出してくれるのはマトリョーシカではないんです。
むしろ、こういうものとか、こういうもの。

わたし うわ。これは……藁人形?



マトリョーシカとロシアの民芸品
マトリョーシカの後ろにあるのが、ロシアの伝統的な民芸品。
布・枝・木などで出来ている。



坂内先生 そうね、こういうむしろ地味なものを、
ロシアのどこへいっても見せてくれますね。
布だとか、白樺の皮とか、あるいは泥でできた
素朴なものが、ロシアの民芸品の原型です。

ロシア人の生活のなかで
子供に作ってやったり、遊ばせたりして使っている。

そういう意味ではマトリョーシカは、
ロシアの家庭の中では、飾り物としてはあっても
玩具として使うことはあんまりなくてね、
ロシア人の中ではちょっと異質な、
不思議なものなんです。

マトリョーシカのルーツは日本にあり!?
坂内先生 「民芸品」という意味のロシア語から考えても、
彼らの生活の道具が変わっていくのは、
だいたい18世紀の末頃なんですね。

それまでは教会やお寺に飾る聖像画のような
いわゆるイコンと呼ばれるものを除けば、
装飾品というのはごく地味なものしかなかった。

それがヨーロッパからさまざまな物が入ってきて
その影響を受けて、ロシアの中で
生活道具を装飾的にしたり、
衣装も民族衣装というものを作り始めるのが
18世紀の末頃なんです。

わたし へえー、そうなんですか。
わたしも、ロシアの民芸品やデザインというと、
力強い線や色彩のイメージがあります。


坂内先生 ええ。非常にプリミティブで、
色彩なんかも目を奪われるような
原色を使ったデザインですね。

最初の頃は生活と表裏一体ですから
誰が作ったものかわからないのですが
例えばお皿とか、お飾りの板なんかが、
作られるようになっていきます。

次第にそれらをロシア人が“自分たちのもの”
として意識しはじめるわけですね。
すると今度は、それがまたヨーロッパに紹介されて
さらに広まっていく……という経緯があります。

マトリョーシカとロシアの民芸品
現代ロシアに伝わる、ロシアの伝統的な民芸品の一例。

わたし
そうなのかあ。


坂内先生 ところが、マトリョーシカには
そういう歴史がない
んです。


わたし ぬぬ。やっぱり……。

というのは、ひとつ質問なのですが、
わたしが聞いたところでは、
マトリョーシカのルーツは
日本の民芸品だというのです。
このウワサ、本当ですか?

坂内先生 本当です。元になるアイデアが
日本から伝わったことは調べがついています。


わたし
やっぱり! そうなんですかぁ。

(つづく)



坂内徳明先生 プロフィール
ばんない・とくあき。一橋大学副学長・大学院言語社会研究科教授、社会学博士。1973年東京外国語大学外国語学部ロシア語科卒業。歴史的な視座からロシアの社会、宗教、神話と民衆文化の現場に注目し、これらを取り扱う民族学をその時代とともに考察・解明する研究で知られる。近著『ルボーク―ロシアの民衆版画』(東洋書店・2006年)など著書・論文多数。


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