高度情報化社会の発達を支えてきた材料「シリコン(Si)」にも、いま、量子の波が寄せつつあります。同じシリコンという原子のうち、中性子の数が異なる「同位体」に注目した実証実験で知られる、慶應義塾大学 伊藤公平教授。この基礎研究がいま、量子コンピュータや量子デバイスへの期待の高まりを受け、「シリコンは同位体で」という世界的なトレンドへと発展しつつあるといいます。伊藤研究室では、さらに「最も量子コンピュータと好相性」とも言われるダイヤモンドを用いた量子測定の研究も進行中。そこで今回は、この2つのマテリアルを用いて電子スピン1個、核スピン1個をコントロールする、超高精細ナノ世界を、さっそくご紹介してまいりましょう。ランダムで予測できない量子の性質を活用する従来のフェーズから、量子状態を保ったまま意図通りに操作する新しいフェーズへと移行しつつある、量子の技術。その最先端を、慶應義塾大学 伊藤教授に聞きました。
純度99.92%の同位体を並べたウエハー
半導体の回路を乗せた円盤状の板を「ウエハー」と呼びます。量子コンピュータなどの量子情報へ向けた研究で使われるシリコンウエハーは、「29Si」というシリコンの同位体が4.7%含まれているのがふつうです。ところが29Siは、核スピンを持っているため、それがくるくる回って、磁場に揺らぎを起こしてしまう。するとその近くにあるスピンの量子状態を壊してしまうんですね。そこで僕たちのウエハーは、29Siを取り除いて、核スピンのない28Siという同位体を99.92%という高い純度で集積させた材料で出来ています。この材料は、そもそも核拡散防止条約によってグルジア(Georgia)に作られた工場で、28Siと29Siの分離が行われ始めたことに端を発したもの。僕たちはこの洗練された材料を使って、科学的に新しい発見を目指しているんですね。
マテリアルの性能が5桁アップ!
たとえば僕たちは、同位体を並べた中にリンを入れて、繰り返し量子状態を計測してきました。これは「アンサンブル」と呼ばれる方法で、リンはたくさん入っているけれども、原子ひとつひとつが単独で存在していると考えられるように十分離しておいて、いっぺんに計測します。すると、28Si同位体を使った理想的なシリコンの環境では、量子状態をずっと長い時間保てることがわかったんですね。この「プルーフオブコンセプト」を元に、今度は僕らのウエハーを研究コミュニティに提供して、アンサンブルではなく、電子スピン1個を自由に操作して読み出す実験が行われる段階に入ってきています。最新の成果が、オーストラリアのUniversity of New South Walesから出ていて、ふつうのシリコンウエハーで50ナノ秒だった「コヒーレンス時間」が、なんと1.2ミリ秒に伸びた。さらにウエハー上部に微細加工をして、ゲート電極で電子を引っ張り上げることにより作製した「量子ドット」でも単一電子スピンが1.2ミリ秒のコヒーレンス時間を持っている。これも28Siでのみ得られる現象です。微細加工でどんどん量子ビットが集積化できるのであれば、すごいこと。そして1.2ミリ秒もあれば量子情報的ないろんな操作(計算)ができる。同位体に注目したマテリアルの革新が、実に5桁アップをもたらしたんですね。
半導体同位体工学の世界的な動きのなかで
ちょうど先週、New MexicoのAlbuquerqueでシリコン量子ビットの国際会議があったのですが、28Si同位体を使って3個の量子ビットをつくったという新しい成果や、これから使いたいという人たちで大いに議論が盛り上がりました。シリコン同位体へのこの熱いムードは、昨年あたりから一気に加速している印象がありますね。1量子ビットが出来たら、今度は2個、3個と量子ドットを作って量子ビットを増やしていき、「スケーリング」させるという方向の研究が、これから盛んになってくるでしょう。僕たちのウエハーを使ったこのような実験が、おそらく世界中で活発化していくはずです。